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ART SQUAREは三浦明範の作品と絵画技法・材料のサイトです。

■画材考 シルバーポイント

 ここ十数年シルバー・ポイントで制作を続けているが、そのきっかけは、最も初期の油絵である15世紀フランドル絵画の研究のために出かけたベルギーにある。
 その研修期間中の半年余りをかけ、自分なりの結論が見えてきた途端、急速に油絵具に対する興味が薄れていった。逆に湧き上がってきたのが、アントワープの王立美術館にあるヤン・ファン・エイクの「聖バルバラ」が描かれたシルバー・ポイントへの関心であった。皮肉なことに、油絵具の研究に行って油絵具を捨てる結果となったのだ。

 シルバー・ポイントは銀を先端に持つ素描材料で、鉛筆の芯が銀であると言えば分かり易いだろう。現在の鉛筆に近いものが使われるのは17世紀初頭からであるが、それまでは銀のみならず、さまざまな金属が用いられていた。その代表的存在がシルバー・ポイントなのである。
 この技術について書かれた文献は乏しく、それからは試行錯誤の連続であった。炭素顔料に比べてバリュー不足だし、何より下地の材料や塗り方で発色が変わってしまう。忘れ去られた技術であることが物語るとおり、決して人に勧められるようなものではないのである。それでも続けているのは、私にとってはその不自由さが面白いからなのである。
 この下地の研究過程で生まれたのが市販されている「μ‐グラウンド」という、テンペラ等の古典技法用の下地塗料だが、肝心のシルバー・ポイントにはあまり適さないというのがご愛嬌である。(2014年新美術新聞掲載)
※図:シルバーポイントの材料とミュー・グラウンド

■伝統と絵画材料

 私が初めて中国の土を踏んだ日は、いろいろな意味で記憶から消し去ることができない。
 その日私たちは、湖北美術学院美術館で行われる同学院の教員と日本の画家13名による展覧会のために、武漢空港に降り立った。そこで出迎えてくれたのは、同学院の張導曦さんで、日本画の研究のために東京藝大に留学したことのある中国国画の第一人者である。その時彼は、世界貿易センタービルの倒壊を伝える記事が掲載された新聞を差し出し、知っているかと尋ねた。そして私たち全員、驚愕とテロへの怒りを共有したのであった。
 ところで、数少ない私の趣味の一つは、海外に出かけたらその地の画材店を覗き、面白い画材を見つけることである。この時も張さんに案内してもらって画材店を物色し、日本では手に入らないものをいくつか購入してきた。
 その時初めて知って驚いたのは、中国現代国画の絵画材料には西洋の絵具が導入されていたことである。日本画はテーマや表現が西洋化する一方で伝統的材料を大切にする表現に発達し、かたや本家の中国では、テーマや精神こそ伝統を保ちながらも西洋の材料を取り入れていったのだ。
 この日中における伝統に対するベクトルの違いは、私にはとても面白く思えたのである。そして、なぜ彼が日本画に興味を持って留学したのか、その訳が理解できたような気がしている。
 私自身は西洋の古典絵画の研究から、かつて素描に使われたシルバー・ポイント(銀筆)を復活させ、新たな表現の可能性を探っているところであるが、西洋でも今やその技術を継承している者は無く、残っている技法書もほとんど無い。そのため、試行錯誤の連続ではあるが、私にはそれがとても楽しいのである。(2013年日中文化交流協会機関紙掲載)
※図:「HIMONOS」273×220(o)、パネルにシルバー・ポイント、黒鉛、墨

■個超えるリアリティ―

 東日本大震災という未曽有の大災厄を目の当たりにし、描くことの意味や絵で何ができるかということを、あらためて考えさせられた一年だった。
 被災地支援のために、絵や関連する品物を拠出するチャリティーを講じたりもした。しかし、私が得られた答えは「絵描きとしてできることは、ただただ描き続けるしかない」という事実だった。
 音楽や演劇など、時間と空間を共有できる芸術では、共に作り上げる「場」の中で、鑑賞者に何かを伝えることができるだろう。だが絵画は、鑑賞者一人一人が受け取る意志を持って作品に接しようとしなければ何も始まらない。しかも内容は、作者の極めて個人的な思想や感覚に基づいている。
 このような作品が鑑賞者に何かを伝えられるとすれば、そこには個を超えた普遍的なものがあるからだといえる。ユング流に言えば、個を掘り下げることで集団的無意識に働きかけるということかもしれない。
 例えば、外国でトラブルに遭った時、身ぶり手ぶりで必死に意思を伝えようとすれば、何とか伝わることがある。逆に正しい単語や文法で話そうとしても、伝わらないこともある。
 これと同じように、絵画も表面的な美しさではなく、心底信じられるものを描いたものしか人の心を打つことはないだろう。これこそが絵画のリアリティーというものであり、リアリティーのある作品だけが個を超えることができるのだ。昨今の公募美術展を鑑賞すると、リアリティーを感じる作品になかなか対面できないのが残念だ。
 秋田蘭画という誇るべき先達を持つこの地で、今こそ本物の絵画芸術を花開かせようではありませんか。(2012年新聞掲載)
※図: 「Vanitas」2011年 パネルにシルバーポイント、黒鉛、墨、227.9×162.0cm

■聖バルバラと達磨

 一昨年の十月、私はアントワープの王立美術館の二階にあるヤン・ファン・エイクの「聖バルバラ」と久しぶりの対面をしていた。
 アントワープの某画廊での展覧会のオープニング・セレモニーに出席するため、四年ぶりにこの地を訪れたのだ。前日の深夜まで続いたパーティのおかげですっかり寝坊をし、午後から始まる御得意を集めたベルニサージュの前に美術館に立ち寄ったのであった。
 この作品は、日本人にはおなじみの「フランダースの犬」に登場するノートルダム大聖堂の建築の様子を背景にしたと言われる、小さな作品である。かつては壁に掛かっていたのが部屋の真中に移動し、裏側も見えるような展示に変わっていた。そこには古い小さな紙が貼り付けられていて、作品の経緯とシルバー・ポイントで描かれている旨が書かれていた。
 初めてこの美術館を訪れたのは九六年九月で、文化庁派遣在外研修員として十五世紀フランドル絵画の研究のためにベルギーに到着した翌日である。取り敢えずの滞在先として紹介されたB&Bの宿からほど近く、街の探索の第一歩として向かった場所であった。
 当時は改装途中で、エントランスから続く二階への階段はさながら工事現場の様相を呈していたが、十五世紀の展示室に入ると、そこは人影まばらな静謐な空間であった。
 目的のプリミティフの油絵は、ヤン・ファン・エイクの作品では「泉の聖母子」だけで、「聖バルバラ」は油絵ではなかったので関心の外にあった。むしろ数日後に予定していた、ゲントのサン・バヴォン大聖堂の「神秘の子羊」や、ブリュージュのグルーニング美術館の作品群への思いを馳せながらの鑑賞となったのである。しかし今さらにして思えば、最初のこの対面が、その後の私の転機になっていたのであった。
 当時私が興味を抱いていたことは、最も初期の油絵の技術に対するものであり、それを知ることで新たな表現の可能性を探ることであった。もちろん、ヤン・ファン・エイクの神秘的なまでの技術を目の当たりにしたいということが先ずある。
 バザーリが著した「美術家伝」の中で「油絵はヤン・ファン・エイクが発明した」ということが伝説であるとしても、私の中ではヤン以前も以降も、彼を越える画家はなく、最初にしてすでに完成者なのだ。しかし、その絵具がどのようなものであったかということになると謎に包まれており、現在に至るまで解き明かされていない。もちろん、一介の無名絵描きに謎解きができるとは思ってもいないが、せめて少しでもその精神性に触れることができればという思いで、ベルギーの地を踏んだのであった。
 最初の数ヶ月は修復の教室に通い、当時の材料や技法を学んでいたが、その後ブリュッセルの文化財保存研究所に通って文献を読み漁る日々が続いた。
 そうする間に、研究員のコッケルト氏に紹介され、彼の著した紀要の中にある、ヤン・ファン・エイクの絵具の分析結果を知ることとなった。そこには植物性の油脂以外に、ごく微量の動物性たんぱく質(たぶん魚)が発見されたとあった。すなわち魚膠である。
 その結果を元に、私なりの方法で試作したメディウムの絵具を作り、模写での実証をしてみたのである。ここでは詳細は記さないが、ひとつの仮説にはなったかと思う。
 ところで一方では、自分の絵の新たな展開に悩んでいた私は、日本を離れることで何かが見つかるのではという、甘い期待を持っていたのも事実である。しかし、当然ではあるが何も変わることはなく、筆は止まったまま数ヶ月が過ぎようとしていた。
 そんな時、聖バルバラの絵が頭にこびり付いている自分に気がついたのである。この作品は途中なのか完成なのかで諸説あるのだが、少なくとも、線描だけで素晴らしい完成度を見せている。その線はシルバー・ポイントで描かれているとされていた。

 シルバー・ポイントとは、金属の銀を先端に持つドローイング材料のことである。鉛筆の芯に相当するものが銀であると言えば分かり易いであろう。現在の鉛筆に近いものが日常的にドローイングに用いられるようになったのは、十八世紀頃からであるが、それまでは銀のみならず、さまざまな金属が用いられていたようである。その金属尖筆の代表的存在がシルバー・ポイントなのである。
 銀は空気中の硫黄分と反応して硫化銀となるため、シルバー・ポイントで描いたものは、直後としばらく経過した後では色が変化する。いわゆる「いぶし銀」のやや赤味がかった黒色になるのだ。他の金属でも、例えば銅を含む青銅や黄銅は、やや緑味がかった黒色になる。
現存する作品の多くは、十五世紀から十六世紀にかけての作品で、十七世紀以降は、僅かに筆記用具として使われたり、羊皮紙に描かれたミニアチュールの下絵に使われたりしたにすぎなくなっていった。
 学生時代、古典のさまざまな技法に興味を持って試した中に、このシルバー・ポイントもあったのだが、その当時は面白半分に遊んでいただけで、まさかこれで自分の作品が作れるとは思ってもいなかった。
 しかし、それから二十余年を経て、今度は自分のものにしたいという気持ちが沸き起こり、早速ブリュッセルの貴金属材料店に銀線を買い求めに走った。もちろん、金属という硬い素材で描くため、紙のような柔らかい支持体では、微かな窪みができるだけである。チェンニノ・チェンニニが書いているように、鶏の骨粉を擦り込んだり、白亜や白の絵具を塗ったりした支持体でなければ描くことはできない。そのために様々な下地を試みることになった。
 立て続けに数枚の作品を描き、下地によってさまざまに変化する表現に一喜一憂することとなった。さらに適した素材を求めて、いつの間にかシルバー・ポイントが研究のテーマとなってしまったのである。
 皮肉なことに、絵具の研究に行って、絵具を捨てる結果となったのだ。
 話は戻るが、ヤン・ファン・エイクの模写をする際、白亜地を作ろうとしていたところ、当時の指導教員はもっとよい地があると言って、カオリン地を薦めてくれた。しかし私は古い材料そのままで作りたかったので白亜に固執して制作をした。
 その後帰国をしてからしばらくの間は、持ち帰った白亜を使って制作をしていたが、当然ながら、間もなく底をついてしまった。画材店で入手する白亜は彼の地の何倍もの値段で、なかなか使う気にならない。そんな折に薦められたカオリンを思い出したのだ。
 カオリンとは「高嶺」と書き、元々は中国の景徳鎮の土である。現在カオリンと称されているものはその成分が同じ物すべてを指すが、世界各地で産出されている。
考えてみれば西洋で東洋の土を薦められ、東洋では西洋の土にこだわっているという、実に不思議な現象が起こっているのだ。
 早速、カオリンを入手して下地を作ってみると、シルバー・ポイントに求めていた最適な地のひとつであることが判明した。もちろん、シャンパーニュの白亜に比べれば何十分の一にも満たない価格で入手できることも魅力である。それからはカオリン一筋である。

 さらに試行錯誤を繰り返して数年が経過した頃、カオリンを購入している体質顔料の会社のTさんから、どんなことに使っているのか見学させてくれという申し出があった。彼は人一倍研究熱心な性格であったこともあるが、一般的には製紙工場以外ではあまり使われることのないものが、個人で大量に購入しているため、不思議に思ったようであった。
 絵画の下地として作っている現場を見たTさんは、非常に興味をそそられたらしく、私は質問攻めにあってしまった。そして、彼の会社で扱っている、ある塗料を使ってみないかということで、サンプルを提供してくれた。
 試しにその塗料を使ってみると、まるで白亜地のような感触があるので大変驚いてしまった。聞くと、それは張り子のダルマの下地であることが明かされた。もともとは胡粉と膠で作っていたものであるが、温度管理や扱いの不便さから、合成樹脂をベースにしたものに切り替わっているそうなのだ。
 胡粉も白亜も成分は炭酸カルシウムで、もともとダルマの下地も油絵の下地も、同じ目的のために塗られるものなのだから、似ているのは当然のことであった。
 ところで、私は教育の現場にも携わっているが、現在の安価な市販のキャンバスの危険性を知ってしまうと、たとえ習作といえども、安全な下地に描いてほしいと思うし、膠で作る吸収性下地の優秀性を一度味わうと、キャンバスには戻れなくなってしまう。そのため、教室では膠で作る下地を指導してきたのだが、一度教室を出てしまうと、自分で膠を溶き、白亜などを入手して下地を作ることは、たいていの人は面倒臭がってやらなくなってしまう。
 もし、このような手軽に下地が作れる塗料があれば、多くの画家や学生にとって朗報に違いない。そう思って、このダルマ下地を分けて欲しいと言ったのだが、残念ながら特定の季節だけの生産なので、在庫がないと言って断られてしまった。ただし、新たにロット丸ごと作るなら、いつでも生産できるというのだ。もちろんそうなれば、一人では使いきれないくらいの量であるし、高額な出費も覚悟をしなければならない。
 しかし、もしロットで作るなら、何もダルマ下地と同じものである必要はない。純粋に絵画下地として最適なものを作ろう、ということになり、今度は下地塗料の研究が私のテーマになってしまったのだ。

 ちょうどその頃、勤務する大学の研究所が設立され、企業との共同研究の募集があったので、これ幸いとばかり、塗料メーカーを巻き込んで件の下地塗料を作ることにした。Tさんから紹介されたこの塗料メーカーは、もともとペンキの下地材を作っていて、それはダルマ同様、塗料を塗る前のプレパレーションとしては全く同じ目的なのである。
 メーカーからは科学的な知識と塗料作りのノウハウを、私の方では制作の現場からの知識と要望を持ち寄ることで、次第に求めていた理想に近づけて行った。
 私が目指していたのは、簡単にできる紙のような表面を持つ白亜地で、この地はテンペラなどの水性絵具が使え、かつ油絵具は一部が浸透することで亀裂や剥落のない頑丈な画面になる。同じように簡便な下地材にアクリル・ジェッソがあるが、これは吸収性がないので似て非なるものなのである。
 そして、ようやく完成したのは一年後であった。友人の勧めで、ダジャレではあるが私の名前を取って「ミュー・グラウンド(μ−Ground)」と命名した。
 この製品は、もともと私自身と周囲の画家仲間、そして学生のために開発したものであったので、商品化することは考えていなかった。何より、流通に乗せるとその分だけ小売価格が上がってしまう。せっかく自分用に作ったものが、高くて買えなくなるのでは元も子もないので、大学の売店だけに置いてもらうことにした。現在は、女子美と多摩美の売店で扱っている。
 ただ、口コミからか、最近は多くの人から購入希望があり、小さい容器での希望も増えてきた。メーカーも広い流通を考えているようなので、これからは私の手を離れていくことになるかもしれない。
 絵にとって内容が最も大事であることは言うまでもない。しかし、たとえどんなに素晴らしいことを訴えようとしても、絵に魅力がなければ見向きもされない。魅力を出す方法など存在しないが、何かの発見や秘かな楽しみを持って描いていれば、必ずや滲み出てくる何かがあるだろう。それが絵の魅力の一端になるのではないだろうか。絵に限らず、何かを発見すれば公表したくなるし、その発見が未知の事なら見聞きしたくなる。自分だけの楽しみは秘密にしたくなるし、人の秘密は覗き見したくなる。
 私の場合、絵のテーマとは別に、ここ十年余りの秘かな楽しみが、このような絵画材料の研究であったようである。これらが私の絵に如何ほどの魅力を添えたかはわからないが、私にとっては絵を描く動機の一つにはなった。(2008年美術科連盟機関紙掲載)
※図1:アントワープの画廊にて
※図2:ヤン・ファン・エイク「聖バルバラ」1437 板に銀尖筆、油彩
※図3:セロリラブ 紙に白亜地、シルバーポイント
※図4:ミュー・グラウンド



  
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